
昨日は、「自分自身や 自分の取り組んでいることに 他の人がこんなこと思ってたら嫌だなあ…」と思ったときの考え方について書きました。
(昨日のブログはこちら→『ストーリーを書き換える』)
今日はそれに関連して、
「自分が挑戦しようとしていることについて、他の人が実際に何か言ってきたとき」について。
たとえば「こんなことやってみたい!やる!」と思っていても、
怖くて人にはなかなか言えないときや
いざ言った後や始めた後に 人から質問責めにあったり からかわれたりしたとき
どう考えて、何をしたらいいのか。
なんかこう勇気を駆り立てられるような喋り方で素敵なことを言ってくれている動画を見つけました。
“When You’re Embarrassed of What You Love” Amy Landino
彼女が言っていることを少しまとめると、
人は話すのが好きだから
何か話題があれば、それについて話すのは自然なこと。
だからあなたについて話題にできそうなことがあるとき、人は自然とそれについて話したがるもの。
それを居心地悪く思ってしまうときもあるし、
特に その話題についてまだ自信がないときに
あれはどうするの?これは?それやって何になるの?結果的にどうなりたいの?なんて質問されたりなんかしたら
「わたしだってまだ模索中なのに、そんなに聞かないで〜」と縮こまってしまうときもある。
でもそういうときって、相手は必ずしも否定したいわけでも、「悪く言ってやりたい」と思っているわけでもなくて、
まずは少しでもよく理解するために
質問から始めているだけかもしれない。
中には あなたがやろうとしている何かを、似ているようで全く違う何かと結び付けた上で批判してくる人もいるかもしれない。
「あ〜いわゆる○○になりたいんでしょ」「あの人みたいになりたいんでしょ」という風に。
でもそれすらも、ちゃんと理解するために 自分の知っている範囲の情報と結びつけて、分かりやすくしているだけ。
そして、本当に意地悪な気持ちで意地悪なことを言ってくる人に出会ってしまったとき。
人は多かれ少なかれ競争心があるものだから、それはある程度仕方ないことかもしれない。
意地悪を言う人たちは、
あなたが今より良くなっていくかもしれない、もしかすると自分よりも良くなっていくかもしれない と感じて、
焦ってしまう人。羨ましくなってしまう人。このまま今まで通りそこにいてよ、と足を引っ張りたくなってしまう人。
そんな人が、自分がそう思っていることにすら気付かずに攻撃している可能性が高い。
だそうです。
昨日は、あなたを否定する言葉は「あなた自身の頭の中で作られたもの」だから 気にすることはない と書いたけれど、それと似ていて
あなたを実際に声に出して否定してくる誰かの言葉すら、どちらかというとその人の心の内を表したものであって、あなた自身やあなたが取り組んでいる何か について的確に捉えた言葉ではない
のだと思います。
結局、他の人が何て思うかな…という漠然とした不安には、全く意味がないということ。
そして、その不安を取り払うことは、それだけでもとても大きなことだけど
まだまだ長い道のりの 最初の一歩にすぎない。
他にも彼女の言葉で紹介したいものはたくさんあるけれど
とっても長くなりそうなので、今回はこのあたりで。