心のでこぼこと、それを埋めることが出来るもの

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大好きなおばあちゃんを見送った今年の春。

自分の生き方や、どんな人間で在りたいかについて、改めて真剣に考えることになった。

そして周りの人を思いやり、愛を持って接することの大切さを、震える心でいっぱいに受け止めた。

逃げることやごまかすことが本当に意味のないことに思えて

自分の内面とどこまでもまっすぐ向き合って、

弱さにも恥ずかしさにも負けず

正直にさらけ出すことで、変えようと戦ってきた一年。

周りを見渡せば、この期間、わたしのそばには

大きな大きな愛を持って待ち構えてくれている人ばかりだった。

敵なんて、どこにもいなかった。

自分をどこか信じきれなくて、認められなくて、いつも自信のない自分自身。

今のわたしは、ただそれに立ち向かえば良いだけだと分かった。

 

おばあちゃんの言葉を思い返すと、

いつもわたしに「マイペースでね」と言ってくれていた。

わたしは器用ではないし、いわゆるカリスマ性みたいなものもない。

でも進み始めると止まれない、止まりたくない性格で、

自分でもびっくりするほどパワーやエネルギーが出てくるときもある。

そうやってゆっくりなとき速いときも、

マイペースでしか進めないのだけど

そんなことを知ってか知らずか、いつだって、「マイペースでね」と言ってくれていた。

わたしは物心ついたときから自分の丸顔が好きじゃないのだけど

お見舞いに行ったある日、ふとわたしの顔を見たおばあちゃんが

「ほっぺたが気持ちよさそうね」なんて普段言わないことを言うから

顔を近づけると、わたしの顔に触れてとっても喜んでくれた。

あの日の暖かいピンク色の日差しをわたしは忘れられない。

わたし自身が好きになれなかった部分も、

いつだって、全て大きく肯定してくれていた。

たまにしか会えなかったけど。

 


 

なにかと胸がいっぱいになることの多い一年だった。

わたしは今までだってそれなりに幸せに楽しく生きてきたつもりだったし

心に傷の残る経験みたいなものも、特にしていないと思う。

それでもやっぱり、わたしが気づいていなかった、満たされない心のでこぼこみたいなものはあったみたいで、

今年関わった色んな人の愛のある行動や言葉で

埋まっていく、満たされていく、その音が聞こえた気がした瞬間が、何度もあった。

人はどんなに普通に見えても、元気でも、幸せでも、

心に多少の穴ぼこはあるものだと思う。

だから、周りの人には優しく。

本人には埋められない何かを、お互いに愛で満たして支えていくのが

人なんだと思った一年だった。

 

一人でなんでも出来たら、

そりゃ煩わしいことは色々減るだろう。

でも一人で出来ないから、人と一緒にやるから、

色々思うようにはいかなくて、

ときに思いがけない眩しい展開が待っていて、

それが最高なんだと

ようやく分かった気がした。

だから、きっと誰も自分勝手じゃない。

そうやって一緒に色んなことをしながら

まっすぐの一本道じゃなく、行ったり来たり、ああでもないこうでもないと言ったりしながら

生きていくのが人なんだなあと、初めて少し分かった気がした。

 

過去のわたしは全然分かっていなくて、

誰かに力を貸してもらうとき、一緒に何かやってもらうときは

いつも「わたしの勝手に付き合わせてるんじゃないか」という不安があったけど

ひょっとすると、相手はすごく楽しんでくれているかもしれないし、

その経験から相手も何か得るものがあるかもしれないし、

良い思い出として、その人の人生の素敵な1ページになるかもしれない。

卑屈になっていてはそんなことは分からない。

 

そうやって色々考えては、おばあちゃんのことを思い出して、心の中で言う

これからも頑張ります、って。

でもきっとこう言われるのだと思う。

あんまり頑張りすぎないで、マイペースでね、と。

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