アジア生まれの
アジア人であること

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英語を学び、海外の人と関わる経験をしていると、「日本人らしくなくなること」が「国際的なコミュニケーションが上達した証」かのような、まるでそれが「国際的に活躍できる人として成長した印」かのような、どこかそんな風に思うようになっていました。

外国の人と対等に関わって認めてもらうには、自分の体や心に沁みついた「日本人らしさ」や「アジア人らしさ」から抜け出して、欧米人のような立ち振る舞いができるようになる必要があると、無意識のうちに信じるようになっていました。

こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、「日本人っぽくないね」と言われることが褒め言葉のような。日本人の独特な価値観や立ち振る舞いをどうにか拭い去って、それができたら国際人としてやっと一人前になれるかのような。

今更なことのようですがあえてリマインドすると、一口に「アジア人」といっても、色んな人がいます。日本生まれの日本人にはなかなかイメージしにくいかもしれませんが、アジア人種だからといって、アジア諸国で生まれ育つ人ばかりではありません。アジア系のルーツを持ちながら欧米諸国で生まれ育った人も沢山います。例えばYouTuberのJenn Imは、韓国出身の両親を持ち、見た目は東アジア人ですが、アメリカ生まれアメリカ育ちのアメリカ人。

日本人の私にとって親しみのあるお顔立ちでありながら、大胆なファッションやボディーランゲージは、韓国や日本で生まれ育った人たちとは全くといっていいほど違うもの。その姿はアメリカ人らしく堂々として見えます。美しく聡明な彼女への憧れも相まって、例えば彼女のような立ち振る舞いが出来るようになることが、自分が国際人として成長する際に目指すべき「唯一の正解」のような気がしていたのです。

でも最近、ひょんなことからそれは実はもったいない考え方だったと気付くことになりました。「アジアで生まれ育ったアジア人」だからこそ持っている、その「らしさ」− 私で言えば「日本人らしさ」は、もしかしたらユニークなメリットになるかもしれない、と考えるようになったのです。


そのきっかけは、世界で活躍する「アジア出身のアジア人女性」の姿を見たことでした。

1人目は、「こんまり」こと近藤麻理恵さん。言わずと知れた、国内外で人気の「片付けコンサルタント」です。

遅ればせながら先日、Netflixのオリジナル番組『Konmari〜片付けの魔法〜』を見ました。こんまりさん自身のことや、提唱されているお片付け術「こんまりメソッド」の内容はなんとなく知っていたものの、実際にどんな声や話し方、立ち振舞いで、どんな風にクライアントさんと関わってお仕事を進められるのかは、この番組を見るまで知りませんでした。

著書『人生がときめく片付けの魔法』(英題: “The Life-changing Magic of Tidying Up”)は全米ベストセラーとなり、レッドカーペッドにも登場するなど、大成功を収めている彼女。てっきりすごく堂々として、クールでかっこいい女性なのだろう…なんて思っていたのに、画面に現れたのは「可憐」という言葉がぴったりな女性。

立っていても座っていてもまっすぐに伸びた背筋。ことあるごとにお辞儀や笑顔を欠かさない。相手への敬意を感じさせる適度な距離感。指先まで意識の届いた美しくて上品な所作。不用意に相手を傷つけることのない物腰の柔らかい言い方や、空気がピリッとした時にはさりげなく和ませることのできる朗らかな雰囲気。

「やまとなでしこ」の良いイメージがこれでもかというくらいに詰まった姿に感動し、そしてその姿のままアメリカのクライアントの問題をどんどん解決していく様子を見て、私の中の「正解のイメージ」がみるみるうちに崩れていったのです。

特に印象的だったのは、「家に挨拶をする」という行為。

片付けを始める前に、正座をして目を閉じて、「いつも守って頂いてありがとうございます、これから片付けを始めます」と心の中で家に向かって挨拶するのです。

とても日本らしいと思いませんか?まるで「自然万物にそれぞれ神が宿る」と考えた、日本古来の宗教観を思い起こさせるようです。きっと日本人以外には馴染みのない考え方のはずですが、「欧米では受け入れられないだろうから」といってやめてしまうのではなく、「無理にとは言いませんが、もしよかったら一緒にやってみて下さい」と笑顔で言うこんまりさん。

アメリカ人クライアントの皆さんはやはり最初は少し驚いた顔をするのですが、かえって興味をそそられたり、こんまりさんの真剣さが伝わったりするようで、最終的にみんな「その発想は新しい、いいね」「是非一緒にやりたい」と言うのです。

こんまりさんの物腰の柔らかさ、優しい話し方、品のある所作は一切Westernized(=西洋化)されていないもので、日本人っぽさそのもの。クライアントのアメリカ人女性のカジュアルでクールな魅力とはまた、全く違うものです。それでも、こんまりさんのありのままの姿が受け入れられている。それどころか、むしろ「喜ばれて」いるようなのです。

「マリー(Marieと書いて、英語ではマリーと発音するようです)が来てくれて、家が明るくなった!」と言うクライアントが後を絶ちませんでした。片付けのおかげで綺麗になったのはもちろん、こんまりさんの持つ朗らかで優しくて柔らかい雰囲気こそが、「家の雰囲気をパッと明るくしてくれた」「爽やかな空気を運んできてくれた」と感じる人が多かったようです。

こんまりさんが、あえて相手の文化の真似をすることなく、ご自身の本来の話し方や立ち振る舞いをあまり変えずに接していることが、「自分たちとは確実に違う、でも、素敵なもの」として受け入れられ、喜ばれているように見えたのです。

「Westernizedされていなくても、こんなに笑顔で受け入れられるものなんだ…!」これは私にとって大きな衝撃でした。


そしてもう1組は、同じくNetflixのオリジナル番組、『ネクスト・イン・ファッション』の出演者、中国人のエンジェル・チェン(Angel Chen)と、韓国人のミンジュ・キム(Minju Kim)のお二人です。

この番組は、世界中から集まったプロのファッションデザイナー達が優勝賞金25万ドルをめぐって腕を競い合うというもの。集まったデザイナー達は、すでに最高の実力を持ち確実な実績を積んでいながらも、個人名はまだ有名になっていない人たちばかり。この賞金を得て自身のブランドを拡大し、さらに大きな夢を叶えようと奮闘するのです。

エンジェルとミンジュは、チームとして二人三脚でこの戦いに挑みます。

それぞれ中国と韓国で生まれ育ったのち、エンジェルはイギリス・ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ大学、ミンジュはベルギーのアントワープ王立芸術学院にてファッションを学びました。卒業後はそれぞれ自身のブランドを立ち上げ、一流ブランドやデザイナーとコラボしたり、ファッションウィークに出展したりと、日々世界中を飛び回っています。

このように若い頃から国際的に活躍している彼女たちなので、もちろん英語は堪能だし、あらゆる国の人に囲まれる状況にもかなり慣れている様子です。各国から集まった個性豊かなデザイナー達の中にいても、自然体かつとても堂々としています。

「私と同じ東アジア人だけど、きっとこれだけの成功者なら、欧米的なコミュニケーションをとっくにマスターしているんだろうな。お手本に出来るかも」と思いながら番組を見始めました。

すると番組を見進めるにつれて、2人の意外な素顔が少しずつ明らかになっていきます。

二人の会話は無邪気で素朴で、どこか可愛らしい。厳しい審査員たちからどんなに褒め称えられても徹底して謙虚な姿勢を貫くところや、他の出演者に比べるとやや薄めのリアクションなどには、なんだか「やっぱりご近所さんだなあ」と親しみを感じます。「もしここに日本人がいても、きっと2人と似た立ち振る舞いをするだろうなあ」と。

厳しい条件の中進められるコンテストの荒波の中で、多くの共演者がストレスやプレッシャーを感じ、良くも悪くも感情をむきだしにする中、エンジェルとミンジュはマイペースにいつも冷静さを保ちます。笑顔や周りへの配慮を持つ余裕すらあり、エピソードが進むにつれて、2人が共演者たちの心のオアシス的存在になっていく様子が見て取れました。

特に印象的だったのは2人がチーム名を作ったところ。その名も2人合わせて「ドラゴン・プリンセス」。アジアのアイドルを彷彿とさせる、掛け声とポーズまで用意されていました。

この番組の司会者であり、『クィア・アイ』でも人気を博したタン・フランスが「2人にはチーム名があるらしいね、聞かせてよ」とやって来て、2人がドラゴンプリンセスのポーズするのを見た途端、不安になる私。「欧米にはこんなことする人いないんじゃないか、怪訝な顔をされないかなあ」と心配した次の瞬間。

「なにそれ可愛すぎる!」と同じく司会を務めるスーパーモデルのアレクサ・チャン。ミンジュに「2人もチーム名作りなよ!」と促され、アレクサとタンは早速真似を始めます。

またもや、わたしの中でいらない何かが崩れ落ちていくようでした。

Westernizedされていなくても、こんな風に受け入れられることがあるなんて。むしろ、こんなに愛されるものなんて。私にとってはまた大きな衝撃でした。

彼女らの独特な可愛らしいリアクションやコメント、ジョークもまた、主に欧米諸国から集まった他の出演者らのそれとはまた「違う」もののようなのですが、だからこそみんなを笑顔にして、空気を和ませている。

違うからこそもたらすことのできる価値、違うからこそ喜ばれ、誰かを助ける事すら出来てしまう可能性。

私が焦って消そうとしていた「アジア人らしさ」や「日本人らしさ」は、彼女達を見る限り、むしろ私の味方になってくれるものなのかもしれないと、そう思うようになりました。


当たり前すぎて普段はあまり意識しないけれど、日本で生まれ育った人たち独特の話し方や、身振り手振りってやっぱりあると思うのです。

それを、英語を話してカッコつけるためや、外国の人たちにすんなりと受け入れられるために、つい隠したり相手に合わせて変えようとしてしまう人は、実は少なくないのではないでしょうか。

もちろんそれ自体は悪いことだと思いません。

むしろ、他の国の文化や言語は、真似をして初めて学べることがたくさんあります。自分の大好きな外国の文化や人に憧れて、真似をすることはあなたにとって新しい世界の扉を開く初めの一歩となります。

でも、それだけが全てじゃない。私がいつの間にか思い込んでいただけで、決して日本人らしさを「なくさなければならない」「なくした方がいい」というわけではないのです。

むしろバックグラウンドの見え隠れする「らしさ」が残っているくらいの方が、個性があって良いかもしれない。母国にいるときはそれがあまりに普通でも、そこを出た途端それが「あなたらしさ」となって、重要な個性の一部になるかもしれない。

生まれ育った場所を離れると、あなたの「普通」が「違うもの」や「独特なもの」になりえるし、初めはそれを見て目を丸くする人もいることでしょう。でもこの3 人の活躍を見ていると、その「違い」が次第に歓迎されていくことだってあるのだと分かります。そして驚くべきことにその「違い」は、チームやその空間において重要な役割を持つ、貴重な存在になっていく可能性すら秘めているようなのです。

いつの間にか、英語を話せるようになればなるほど、海外に出て行けば行くほど、「日本人っぽくない人」になることが必要なのだと無意識に信じるようになっていました。でもこういった素敵な方たちの活躍を見ることで、どんなに英語を勉強したり外国に友達が増えても消え切らない、私に沁みついた立ち振る舞いなんかは、むしろこのまま大事にしてみようかなあと思うようになりました。

アジアで生まれたわたしたちだからこそ持っている空気感。それがあるとき自分の魅力となって、味方してくれる日が来るかもしれません。

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