「板挟み」をチャンスにする
– 間に立つ人が考えるべきこと

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最近のわたしには、なにかと「間に立つ」という機会が多くあります。誰かと誰かの間に立って、橋渡し役をする。仕事でも日常生活でも、今の私に求められる役割の大半はそういった内容です。

過去にも何度か書きましたが、私は普段、産業機械の輸入商社で営業の仕事をしています。欧米製の機械を輸入し、日本でものづくりや研究開発を行なっている企業に販売するのです。

そこでは、欧米の機械メーカーと日本のユーザーの間に立って、お互いの目標や主張、思いを理解し擦り合わせながら、プロジェクトを前進させることが求められます。

またここ半年間は、大好きなバーで音楽イベントを企画する活動も個人的に行なっています。

神戸の片隅の小さなバーですが、そこはスタッフもお客さんも国際色豊か。日本を中心に活動するミュージシャンの皆さんにこのお店で演奏して頂き、小規模ではあるものの、日本の才能あるアーティストの皆さんを、世界に発信する。そしてこのちょっと変わったバーを、そんなイベントをきっかけに知ってもらい、できればファンになってもらう。

そこでは、英語を話し欧米文化を背景に持つバーのスタッフたちと、日本語を話し日本文化を背景に持つアーティストの皆さんとの間に立って、イベントの企画から運営を進めていくことが私の役割です。


バーのイベント企画は日々楽しいことばかりだし、今のところイベント毎に達成感が得られているので良いのですが、最近、会社の仕事で壁にぶち当たり、よく悩んでいました。

機械メーカーとユーザーの要望が平行線で、なかなか折り合いがつかないのです。双方、思いの強さやポリシーゆえに譲れないケースもあれば、ちょっとやそっとで動かせない大企業のルールや仕組みゆえに譲れないケースもあります。

あちらを立てればこちらが立たず。そんな状況ばかりが続き、まさに「板挟み」になっていました。

その状況を打破しようと一生懸命頑張っているつもりでも、どうしても出口が見えない。一体どうして私は「英語を使って仕事をしたい」だとか、「異文化間で行うビジネスに携わりたい」とか言って、こんなややこしい世界に足を突っ込んでしまったんだろう?…とまで思いました。

でも、ある時ふと気付いたんです。

「あれ?なんか仕事した気になっているけど、私たち、伝書鳩になってるだけじゃない?」と。

難航する状況の中で、私の頭の中の声はいつもこうでした。

「あの人の主張はこうだけど、あの人の主張はああだ。どうにか事情を説明して分かってもらおうとしているのに、歩み寄ってもらおうとしているのに、どちらも一歩も動いてくれないじゃないか。これ以上、一体何をどう伝えたらいいんだろう。」

この視点がそもそもちょっとずれているのです。「伝える」ことで、両者を「歩み寄らせ」ようとしている。でも、私のやるべきことって本当はそれじゃないんです。

人と人の間を取り持つ役目を任されたとき、両者の間に「言語」という壁があれば、その言語の壁を取り除くことが出来るだけでも仲介人として必要とされ、価値がある存在だと思ってもらえる場合もある。確かに一方の言語を他方が理解できる言語に変換できるだけでも、価値はあります。

でも、それにかまけてはいけない。
間に立つ者が本当にやるべきなのは、両者それぞれの状況や性質、思いや目標を理解すること。そして理解しているからこそ、今後の一つ一つの主張や行動に対してそれぞれがどう思い、どう反応するかを予測して、先回りして、お互いが満足できる結果に出来るだけスムーズに到達できるよう、工夫を凝らすことです。

言語を変換するだけでは、いくら正確に訳したとしても、文化や「その背景をどれだけ理解しているか」が違うことで、意図することが伝わらない可能性は大いにあります。私のような仲介人が本当にやるべきことは、言語を変換するだけでは通じ合わなかったかもしれない人たちに、どうやったらお互いの意図が伝わって、動いてくれるのか考えること。そして私の言葉や行動を通して、実際にその人たちを動かすことなんです。

つまり、「伝える」だけでは足りないし、「歩み寄らせる」だけが方法じゃない。

双方が目指すゴールを踏まえて、お互いが満足できる場所へ導いていく。そんな場所がどこにあるのか、それを見つけることが私の大切な役割の一つです。その目的地をどこに定めるかで、物事の展開は大きく変わるから。


そんな場所へ辿り着くための指針となるものを、最近、見つけたような気がします。気がする、というのは、それが正解かどうかはこれから試して確かめるところだから。

その指針とは、win-winを目指すこと。

すごくシンプルで、拍子抜けした人もいるかもしれません。当然なことのように聞こえるかも。でも、具体的なプロジェクトに入り込むと本当に色々な選択肢が目の前に現れるので、何を選んだらいいのか、分かりにくくなるんです。

それに、お金儲けの世界って、「自分の取り分を大きくしてやろう」って思うのも一つのやり方じゃないですか。でも、もしそのやり方を選べる状況に私が巡り合ったとしても、それは最終的に持続可能なやり方じゃないと思うから、私はそういう選択をしたくないなあと思うんです。

win-winでない関係は長く続かないし、きっと本来持っていたはずのパワーも発揮できない。

一人じゃ出来ないから人と協力するわけで、自分とは違う人と協力するから可能性が掛け算のように大きくなっていくわけで、誰かが我慢する、誰かが得をする、と言う歪みのある関係性は、そもそも「協力」体制とは呼べない。そんな関係性は、せっかく自分以外の誰かと一緒に何かに取り組んでいることの可能性を潰してしまいかねません。

特定の人だけが我慢していないか、誰かの負担だけが大きくなっていないか、自分の都合ばかり押し付けていないか。それらに常に気を配っておくこと。そうして出来るだけ歪みのない関係を築く。もしどこかに歪みを見つけたら、先回りして、悪化する前に、本人に言われる前に出来る限りの対策を取ること。

なぜ先回りが必要かと言うと、人にとってネガティブなことを口にすることはとてもハードルの高いことだからです。相手に本当に思っていることを伝えるのは怖いものです。できればそんなこと避けたいもの。

誰かに我慢してもらっている状態を続けているとき、その人が、「もうそろそろ我慢の限界なんですけど、どうにかしてくれませんか」と、事前に親切に教えてくれることってあるのでしょうか?苦しい思いをしていることを告げることなく、人知れず限界に達して、そっと去っていくことの方が多いと思うのです。口を開いてくれた時にはもう遅いかもしれない。

だから、出来るだけ「我慢しなくていい」やり方を探す必要があるのです。


すでにそこにある何かを取り合うことは簡単です。10ある報酬を、誰がどの割合で取るか?そういった話はシンプルかもしれないけれど、そこで思考停止したくないんです。

本当は10の報酬を5対5で分けたいけど、そこには6しかない。そんな時、譲れない人が5を取って他の人は1を取るのか。それとも3ずつ分け合うのか。…そんな単純な発想になってはいけないと思うのです。これだけを考えることはシンプルで、簡単かもしれないけれど、そのやり方だと誰かが我慢をして終わることになる。それは本当にもう手がないときの最後の手段であるべきで、初めからそんな発想でいてはきっとだめなんです。

「じゃあ、ここには6しかないけど、代わりにAというものを作ってみませんか?そうしたら別の場所から4を補填できるかもしれない。」だとか、「今ここにある6は5:1にするしかないけれど、1しか取れない人はそういえばBって問題を抱えていたよね。5を取る人が、代わりにこのBを助けられないかな? 」とか。

誰かが負担を強いられているなあと思ったら、「他の人にももう少し我慢してもらって負担を分け合いましょう」と単純に考えるんじゃなくて、違う形でプラスを作れないかなとか、他の面で負担を軽くできるところがないかとか、そういうことを考えたい。

もらったものをそのまま返すのではなくて、もっと大きくして返したい。

そういうことが思いつくまでしっかり考えて、そしてちゃんとアイデアを出せるようにしたい。これらの例だって今の私が思い付く限りの空想なので、もっといいやり方があるかもしれません。こういった解決策を柔軟に思い付ける人になることが当面の目標です。


一緒に働く人たち、いや一緒に生きる人たちには、みんな笑っていて欲しいから。笑顔でありがとうと言い合える、そんな状況を作り続けるためにその方法を考えたい。

そんなことをいつも目標としていたいなと思います。間に立つ人として。

板挟みになったときこそきっと、単純に「歩み寄る」「そこにあったものを分け合う」だけでは生まれなかった何かを生み出すチャンスです。初めには思いもしていなかった、よりわくわくする場所に辿り着いて、もっと大きな笑顔でありがとうと言い合えたら最高だから。

言うだけなら簡単です。これから「じゃあ具体的に何ができだろうか」と考えることが難しくて、面白くて、それができてやっと一つ成長できるのだと思います。これからが本番。

その過程で何かを見つけたら、またここに書いて皆さんと共有したいと思います。

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