「自分はこういう人間だから」の正体

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周りの人は自分のことをこう思っているから。
初めて会う人はたいてい自分にこういう印象を持つから。
そういうイメージって、
ある程度の年齢になるとだいたい把握できてしまって
誰かに何か言われても「ああいつものやつね」と
気にならなくなってくるもの
…だと思ってました。

でも最近、そうやって把握できていても、すっかり慣れてしまっていても、
必ずしもそのイメージを「気にしなくなった」というわけではないんだなと
思うんです。

今のわたしの仕事は、商社の営業です。
海外のメーカーから産業機械を輸入して
日本の企業に販売しています。
お客さんの目的に合わせ、既存の機械に組み込む上で適切な使い方や仕様を見極めるために
テストや打合せを重ねて、半年、一年、ときには数年かけてプロジェクトを進めていきます。
そんな仕事で日々関わる人って、飛び抜けて頭が良くて経験豊富で、割とその道ではベテランと言われるであろう年齢の男性がほとんどなんです。特に社外の人。

例えば海外のメーカー側は、博士号を持っていて特別な技術の発明者で、ベンチャー企業の社長さんだったり。
日本のお客さん側は、たいてい開発職や研究職で、しかもある程度決定権のある人だったり。

ものすごく簡単に言うと、ものすごく引け目を感じるんです。
その場にわたし以外の女性がいることって滅多にないし、
しかもよりによってわたしはなんかこう、「頼りになりそう!」とか「頭が良さそう!」と第一印象で言われることはまずない雰囲気の人間で。

実際、行く先々で、「てっきり屈強な男性が来るかと思ってたからびっくりしました〜」と言われることって結構よくあります。

なんかそういうとき、心の中では「ああいつものやつね」と思って流しているつもりが、
つい「やっぱり場違いだよなあ」って思いがよぎるし
なぜか「申し訳ないなあ」なんて気持ちになることまであって。

そんなこと言ったってこれがわたしの仕事だし、そんな考えは心の中に留めて、ただやるべき事をやっているつもりでした。

でもやっぱりそういう気持ちって、自分の心に少しずつブレーキをかけていく。
本当はできることでもなぜか出来ない気がしたり、
自分にもできるのに別の人の方が適任だなんて思ったり、
似合わないことをしていることが何かいけないことをしているような気がして、
イメージに合うことをやった方がいいのかななんて迷ってみたり。

もしかしたら、いつか誰かが「あなたはここにいていいよ」「これをやってていいんだよ」と許可をくれるのを待っていたのかもしれません。

でもそれってよく考えると、自分に自信がないのを人のせいにしているだけです。そしてそれを誰かが解決してくれるのを待っている。

当然そんな都合の良い「許可」なんて存在しないので、自分でもう振り切るしかない。自信がないなら持てるように、努力するしかない。

いつまでもうじうじしていられないので、まずは試験的に、誰から見てもわたしにぴったりの仕事をしている!と思い込んで過ごしてみることにしました。
何も遠慮することはない!と。

相手が誰であろうと笑顔で堂々と振舞うように。
あんまり顔色を伺って小さく忙しく動くのではなくて、少し落ち着いたトーンで自信を持って話すように。

イメージに合わない(と思われているだろう)からと思って遠慮していたことも
これがやりたいんですって言ってみたり、
こんなことを考えてるんですって言ってみたり。
誰も聞いてくれないだろうと思っていたけど、
「こいつ、でしゃばって」と嫌な顔されるかなあと思っていたけど、
実際にやってみたら喜んでくれる人ばかりでした。
意外だなという顔は確かにされたけど、前向きに捉えてくれる人が多くて。
「なるほどそうだったのか、知らなかった」という反応があって、自分が縮こまって考えを表に出さなければ、そりゃあ相手には伝わらないよなあと思いました。

そうやって気付いたこと。

自分で考えている「他の人が自分に対して持っているであろうイメージ」そのものが、間違ったものかもしれない。
他の人は意外と何とも思っていないのに、自らその枠に自分を当てはめて、閉じ込めているだけなのかも。

それに、もし仮にそのイメージが割と当たっていたとしても、行動次第でそのイメージはいくらでも塗り替えられるはず。

勇気はいるけど、遠慮するのをやめないと。自分のイメージを作っているのは自分かもしれなくて、自分をそこに閉じ込めているのも、自分自身かもしれないから。

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