弱虫でよかった

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最近ブログについて、色んな方から個別にメッセージを頂くことが増えた。「励まされた。書いてくれてありがとう」と。私からすれば読んで貰えるだけでもありがたいのに、わざわざ時間を取って連絡を頂けるなんて、なんだか勿体ないくらいに嬉しい。それが気付かせてくれたこと。


ずっと自分のことを情けない奴だと思っていて、嫌いだった。すぐ傷付くし、気になることがあったら頭から離れないし、みんなが平気そうにしている些細なことも、私にとっては辛くて仕方なかったし。

でもそれは裏を返せば、他の人には取るに足りないような、小さなことに私は気が付くということでもある。

そして傷付いたままじゃ生きていけないから、どうやって立ち上がるか、どうしたらもう転ばなくて済むかを一生懸命考える。

そうやってきちんと時間をかけて立ち上がるから、次に何かが起こったとき、「きっとあの時のように、自分はこんな気持ちになるだろう」と自分について予測することができるし、「きっとこんな風に行動をしたらうまく対応できるだろう」と回避策や対策を考えることが出来る。

弱いから、手がかかるから、自分を攻略する方法を見つけることに時間をかけてきたし、時間をかけて本気で向き合ってきた分、それだけしっかりと学ぶことができたと思う。そしてそんな自分を抱えながら生きていくための、ちょっとやそっとじゃ折れない、強靭な作戦を練ることができた。

今や自分でも「心に防弾ジャケットでも着ているのかな」と思うくらいだ。私よりずっと頼り甲斐のありそうな友達に、「りさちゃん、こんな風に悩むことない?」とか、「こんな風に人から言われることない?自分は凹むんだけど」と言われたとき、「うーん、こういう風に考えるようにしてるから平気かな」とか、「そういうときはこう行動するから大丈夫」とむしろ私の方がけろっとしていることがある。これには、友達もびっくりするけれど、私が一番驚いている。

でもそういう風になれたのは、私が超が付くほどの弱虫だったからだ。

初めから強ければ、そんなことは考える必要すらなかっただろう。「別に気にならない」という結論は今の私と同じでも、「だって、こういう考え方をするから」とか、「だって、そういうときはこう行動すればいいから」という根拠はなかっただろう。もし強かったら。

それはそれでよかっただろうなあと思う。私がこれまで自分の弱い心に向き合うことに費やしてきた膨大な時間を、もし他のことに充てられていたら、可能性は無限大だなあと思うから。

でももしそんな風だったら、自分は無敵のスーパーウーマンになれたかもしれないけれど、周りの誰かがつまづいたとき、ちょっと元気をなくしたとき、その気持ちを理解できなかったかもしれない。「私もそう思ったことあるよ」と言えなかっただろうし、「私はこんな風にしたらちょっと楽になったよ」などという話は絶対にできなかっただろう。

だから、私は最近、「弱虫でほんとうによかったなあ」と思う。強がりでも、妥協でも、今更変えられないからそう言っているのでもない。心の底から思うのだ。だってほんの一瞬でも、悲しんでいる誰かの役に立てるのだから。

人は辛いときは辛い。本当に辛い。周りを見渡せば良いこともあると分かっていても、でも辛いときは辛い。そんなとき、過去の私が人の言葉や考え方に触れて、どれだけ助けられたか。だからブログを読んでくれた人から「楽になった」「元気が出た」と言われたら、本当に、ああよかったなあ、私が辛い思いをしたのも無駄じゃなかったなあ、と思える。本気で思える。あのとき転んで泣いて本当に良かったなあって。

私の書くことや言っている事を今好きでいてくれる人が、いつか私の文章を必要としなくなることがあったら、それもまた嬉しい。その人はその人の、防弾ジャケットを手に入れたということだから。

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