多様性と私たちの未来 – テクノロジーが優しさを形にする

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私はいつからか、「もっと多様性が認められてインクルーシブな社会になったら良いな」と常に思うようになっていた。人がお互いに違いを認め、違いから学び、誰もが自分らしさに胸を張って生きられるようになれば良いのにと。

とは言っても私に出来ることなんて、英語と日本語が使えるということくらいだ。だから私がこれまで仕事やその他の活動を通して実際に取り組んでこれたのは、国籍や文化、言語などの違いを超えて人が理解し合い、協力し合えるように助けることだった。言語や文化の壁のある人たちの間に立ってコミュニケーションを助け、一緒に何かを成し遂げられるようにサポートをするということ。

これらの活動は、私を通して「違う」人と関わりながら何かポジティブな体験をすることで、より多くの人が以前より「違い」を前向きに捉えられるようになることを目指してやっている。多様性に関するこのような働きかけを、ここでは「心のアプローチ」と呼びたい。

でもこの「心のアプローチ」に最近限界を感じ始めていた。たとえ私が身近にいる一人一人に働きかけ続けても、それが多くの人に届くにはとても時間がかかるし、私の活動による人の心の変化を実感するのはとても難しい。情報発信もしているが、私の言葉が届く範囲なんて、今のところ恐らく友達の友達くらいまでだ。

そんなとき、多様性を認めやすい環境を物理的に作ってしまうことができるテクノロジーが、すでに沢山生まれていることを知った。

誰もが学んだり働いたりする機会を得て、自分らしく活躍できるような環境が、新しい技術によって色々な側面から実現できるかもしれないということを。

テクノロジーを使って環境を物理的に整えることで、多様性のある社会を作っていくこと、これを「環境のアプローチ」と呼びたい。この環境のアプローチは、私が冒頭に挙げた言語や文化の障壁に限らず、もっと様々な障壁を取り除き、今は隠れたまま活躍できずにいる才能や意欲ある人に、機会を掴んでもらうことを可能にしうるものだ。

それは例えばどんな人かというと、

  • 高齢者
  • 女性
  • 生まれ育つ環境に恵まれない子供
    (金銭的な面だけでなく、身近にロールモデルとなる大人がいない場合も含む)
  • 障害のある人
  • 健常だったが事故や疾病で体が不自由になってしまった人

などだ。

これらの人々がもっと与えられるべき機会を得て活躍できるよう、テクノロジーによって環境を変えることが出来そうなのだ。具体的には、私は特に次の3点に注目し、希望を感じている。

  • AIによる自動化で人の仕事が変わる
  • 人を人らしく評価できるようになる
  • 体や環境の制約を超えて、その人に合わせた働き方が可能になる

それぞれについて詳しく述べていきたい。

AIによる自動化で人の仕事が変わる

AIといえば、私はなんとなく「人の仕事が機械に奪われる」「何もかも機械がやるようになって、冷たい社会になるんじゃないか」などとネガティブなイメージを持っていた。

でも実際には、AIによって色々なことが自動化されることによって、人がこれまで時間を掛けなければ出来なかったことから解放され、より人間らしい働き方や生き方が出来るようになるらしいのだ。結果的に、今より人間らしい社会になるかもしれないそうだ。

AIは色々な人がバラバラの角度から定義しているので分かりにくいが、個人的には今のところ安宅和人さんの定義が素人の私にも分かりやすいなと思っている。

AIとは、高速な計算環境や計算機(コンピューター)に、情報科学技術を実装し、特定の用途に向けて大量のデータを使って訓練させたもの、つまり「コンピューター×アルゴリズム×データ」という定義だ。

AIを使えば、今まで人がやると膨大な労力と時間がかかっていたことを、非常に短時間に行えるようになる。例えばリアルタイムの翻訳や、膨大なデータの中からある目的のために必要な関連データだけを数秒で抽出するなどだ。(私ももう英語だけじゃ食べていけない!)

「人の仕事が機械に奪われる」というのはあながち間違いではない。このように、人間よりマシンの方が得意なことは、マシンに任せるようになっていくと言われている(し、もうそれは始まっている)。

でも悲観的になる必要はなくて、その分、人は人にしか出来ないことにもっと注力できるようになるのだ。…と言われてもピンとこないかもしれないが(私がそうだった)、「人に出来てAIには出来ないこと」は、意外と沢山あるようだ。

  • 自分は今何をしているのかを知覚できる。(AIは、自分が今何をしているか自覚することはないらしい。)
  • 意志を持てる。(AIは意志や目的を持たないので、人間が判断基準などを作って与えないと、判断が出来ないらしい。)
  • 経験から類推することができる。(AIは過去の事例やデータがないことには対応できないらしい。)
  • バラバラに得た情報や過去の経験などを自由に組み合わせて新しいアウトプットが出来る。(これは人間特有の能力らしい。)
  • 新しい問題提起ができる。(ゼロから問いを生み出すことはAIには出来ないらしい。)
  • 人を理解し、相手に合わせたコミュニケーションが出来る。(AIの応答は、あくまで機械的に作り上げられたもの。)
  • 人の温もりを持っている。(それしか無いかと思ってた!)

マシンの方が得意なことはマシンがやるのだから、私たちは人にしか出来ないことに磨きをかけていくべきだ。こういったことができる人が価値を生み出し、評価されていくことになると思う。

これに伴い教育のあり方も変わるかもしれない。これまでは、とにかく沢山のことを覚えることが重要だった。そしてテストにはほとんどの場合「求められる一つの答え」があり、その答えを正確に答えられる人が高得点を獲得し、良い学校に進学できるという仕組みだった。そして多くの企業でも、就職や昇進において同様の評価がされていると感じる。

これまでは確かにそれが出来ること自体が重要な「能力」だったので、この評価方法は理にかなっていたのだと思う。今はもうそうでないはずだ。だってこの評価方法で分かるのは、「『人間よりマシンの方が得意なこと』を自力でどれだけ頑張れるか?」でしかないからだ。今はもう、マシンの方が得意なことはマシンを上手く利用し、その分人にしか出来ないことをもっとやっていくべきだ。もちろん今後も色々なことを理解し覚えることも大事だが、それは「覚えた通り正確に答えるため」ではなく、バラバラに得た情報や経験をもとに自由に思考してアウトプットする能力や、コミュニケーション力、クリエイティブさなどといった「人だからこそ持つ能力」のベースになるから、大切なのだ。そしてもちろん、マシンをきちんと理解して使うためにも重要である。

人を人らしく評価できるようになる

上記のように人が担う役割が変わり、それに伴い人を評価する方法も変われば、これまで魅力と能力があっても評価されてこなかった人たちが、きちんと評価されるようになるかもしれない。そうなる仕組みが出来て欲しいと思うし、作るべきだし、きっと実現可能だ。

ここで、私が人生で観たドラマの中でも特別に好きな作品を紹介させて欲しい。

Netflixオリジナルドラマの『Derek(デレク)』。私が今世界で一番好きな著名人、Ricky Gervais(日本ではリッキー・ジャーベイスと表記されているようだが、本人曰くジャーベイ”ズ”と発音するのが正しいらしい)が監督・脚本・主演をつとめる。

心優しい主人公のデレクが、老人ホームでヘルパーとして働く日々を描いた作品だ。(Netflixでは日本語字幕付きで見ることができる。)

是非ドラマを観て欲しいが、彼はもしかすると、あなたやあなたの身近にいる人とは「違う」かもしれない。変わった話し方をするし(彼は誰が主語でも必ず3人称で話すし、最上級には何でもestを付ける)、髪型やファッションには全く興味がないし、正直すぎて周りの人を困らせることもある。でも、誰より優しくて、前向きで、好奇心旺盛で、愛に溢れた人だ。

そんな彼は、入居者からも同僚からも、一番愛され、感謝され、信頼されている。彼がいるからみんな笑顔になるし、色んな人が上手く折り合いをつけてやっていけているし、楽しく幸せに過ごせているようだ。間違いなく他の誰にも変えられない価値を提供している、この老人ホームにとって欠かせない存在なのだ。

先ほど、マシンの方が得意なことはマシンが行うようになり、人はもっと「人にしかできないこと」に集中できるようになるし、そこに価値を生み出せる人が評価されるようになると書いた。

施設を訪れる「偉い人」たちとデレクの対照的な姿が、まるで「これまで評価されてきた人」と「これから評価される(べき)人」を表しているかのようだ。「偉い人」たちはデレクを見下し、まるで彼に何か問題があるかのように扱うが、結局はデレクに一本取られ、何も言えずに帰っていく。彼は従来の型にはまるタイプでも、学校で良い成績を取ったり縦社会で評価されたりする人でもないかもしれない。

それでもこれだけ仲間や顧客に信頼され、愛されている姿を見ると、彼には彼の素晴らしい魅力と能力があることは間違いない。彼の一番の強みである、人を理解すること、行動と言葉で人を愛すること、これがもっと価値のあるものとして未来の社会では正当に評価されるようになるかもしれない。

当然このドラマはフィクションであり、彼の存在自体も架空ではあるのが、きっと彼と似たような得意・不得意を持つ人は世の中に沢山いるだろう。

人として価値を提供していたにも関わらず、マシンになることが苦手だったために見過ごされてきた人たちが、改めてきちんと多くの人に評価される日が来るかもしれないと思うのだ。

体や環境の制約を超えて、その人に合わせた働き方が可能になる

障害や疾病、事故などにより体が自由に動かせない人や、育児や介護で家を開けられない人は、きっとこれまで色々なことを諦めざるを得なかったと思う。働いて、お金を稼ぎたい、人の役に立ちたいと思っていても、外に出て体を動かさずに出来る仕事というのはなかなか見つからない。

でも、そんな人たちが分身ロボットを使って外で働くという、まるで映画みたいな話がもう実現可能になりつつあるらしい。

株式会社オリィ研究所の『OriHime-D』というロボットがある。寝たきりになって声を失った人が、視線で操作出来るパソコンを使ってこのロボットを操作し、外の景色を見に行ったり、絵を書いたり、カフェで働くことが出来るのだ。

OriHime-Dに限らず、こうした身体的な壁を超えて人が働いたり、他の人と関わったり、趣味に打ち込んだり、そんなことを可能にするテクノロジーはきっと世界を見渡せば他にも存在するだろうし、これからも生まれていくだろう。


私はこれまで、国際的な多様性、言語や文化の壁を超えることに注目し、英語話者と日本語話者がお互いを理解し協力しながら成功体験を得ることで、「違い」に対して前向きに感じて貰えるようになることを目指す「心のアプローチ」を行ってきた。これはきっと、今後も生きている限り続けていくと思う。心の伴わない行動や、見せかけの多様性には意味がないからだ。

ただそれに加え、私ももっと「環境のアプローチ」に関われないかと思う。テクノロジーを生かすことで、「英語と日本語」「日本人と外国人」という範囲を超えて、もっと広い意味での多様性を実現できる環境を作ることに、どうにかして携われないかなあと思う。心のアプローチだけではピンとこない人や懐疑的な人も、テクノロジーの力によって実現可能になっている様子を実際に目にすれば、考え方や行動が変わるということもあるだろうから。

問題なのは、今の私に出来ることが、やっぱり英語と日本語を交えたコミュニケーションくらいしかないことだ。一体何から始めたら良いんだろう。何か知っている人がいたら、どんな情報でも良いので教えて頂けるととても嬉しいです。


参考文献と、この記事のインスピレーションとなったものたち

「他にもこんなのあるよ」とか、「それだと偏りがあるよ」とか、そういう情報もあれば是非お待ちしています。

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