
「いつも通りこんな感じでいいよね」とサラッと流したいときに、「ちょっと待って、本当にそれでいいんだろうか」とか「そもそも」とか言い出す人がいる。あまり深く突き詰めずに物事を流そうとしたとき、定義から立ち返ったり根本的な話を掘り返したりしようとするのだ。
そういった「本質の話」は大抵めんどくさいから多くの人はやりたがらない。言ってみればかっこ悪く見える場合も多いから。あんまり細かいことは言わない気のいい人というのは素敵に見えるものだし、流れを遮って厄介な人だとはやっぱり思われたくないものだ。
それにいつもそんな真面目な話ばかりをする人は敬遠してしまいそうだし、疲れるし、私自身もなりたくない。でも、そういう視点をこっそり自分の中で持ち続け、必要なときは表に出して仲間と話し合えることが、とても大事な気がしてきた。
そういう「正しいのだけどちょっと厄介な人」の最たる例と出会ったことがある。社会人になり、オフィスで働き始めたときの最初の上司だ。
その人の口癖はこうだ。
「本当の目的は何?」
「それが目的なら本当にやるべきことはこれじゃないよね?」
「今までこういうやり方だったけど、状況も変わったんだから変えなきゃだめなんじゃないの」
とにかく、決してルーティーンを許してくれない、常にその状況に対するベストを出すことを求める続ける。そういった「めんどくさいこと」を常に容赦なく問い続ける人だった。
もちろん、当時きっとまだ学生気分の抜けきっていなかった、未熟すぎた私の考えの浅さを指摘されることは多々あった。それこそもう毎日だ。
ただそれだけじゃなく、他部署や、上層部や、組織全体に対してもいつもそういう目を向けていて、「みんななんとなくこうしているけど本当は変えなきゃいけないんじゃないか」という指摘をし、新しい提案をできる人だった。
(よく考えていない人は見透かされてしまうので、まあ怖がられてはいたけど)
部下のわたしはその人の指令を受けて他部署の先輩にそんな「ともすれば厄介な話」を持ち掛けなければならないことも多かった。
正直、当時はたまったもんじゃないと思っていたし心が壊れるんじゃないかと思ったことすらあったが、今となっては人生の中でも特に出会って良かったと思える人の一人だ。
例えば複数の人たちが協力して何かをやっていくとき、それをある程度継続していくと「こういう流れでいつもやってる」というのが出てくる。
そういった「流れ」ができるとスムーズになるし、考えなくていい点も増えるので楽になる。そういうのって沢山のことをこなさないといけないときや、もっと大事なことに時間と労力を費やさないといけないときに大事だ。できるところで省エネする。
でもその「流れ」を繰り返すだけでは行き詰まるときが絶対にいつか来る。
そういうとき、本質の話ができるかできないかで、「問題を乗り越えてさらに面白くなっていく」か、「もう変えることはあきらめてすっぱりやめて次に移る」か、「そのままずるずると澱んでいく」かが変わってくる。
ずるずると澱んでいくのは私としては論外だ。世の中、それが楽だからそれでいいという人もいるけど。そういう人は実のない愚痴が絶えない。
変えることをあきらめて新しいところに移る、というのはまあありだし、今まで私もやってきた。言ってしまえば変化さえ恐れなかったら簡単だ。新しい環境に適応する努力だけでいいし、それだって簡単ではないけど刺激的だし新鮮で、良い方向に向かっている実感を持ちやすい。
ただ、まあ他人任せだ。良い環境は他人が持っていて、自分はそこを飛び移るだけ。ある種リセットボタンのようなもの。
でも、面倒かもしれないけど「たまに掘り返して抜本的に何かを変える」ことができないと、何かひとつのものを健康的に続けることはたぶん無理だ。
問題をそのままにして沈んでいく訳でもなく、他人任せにすでに用意された「良い環境」を飛び移り続ける訳でもなく、そこにある問題を解決しながら進んでいかなければ、物事を良い形で継続することはできない。
「自分で」頑張るんだと思いながら何かを続けるためには、そうやって厄介だったり、蓋をしておいた方が一見楽に見えることを時折掘り返し、考えることが必要なはずだ。
あれから何年も経ち、最近そういうのは「大変そう」「かっこ悪い」「めんどくさい」ことではなく、かえってそれが出来て初めて色々なことが面白くなってくるんじゃないか、と思うようになってきた。大人にとっての面白さ。
そういう本質というか、根本的なところをわざわざ掘り返さないと変わらない状況というのはあるもので。
掘り返して考えた対策を試してみて、状況が変わったり、変わらなかったりするから面白いのだし、人間がやっている意味があるわけで。(機械的や作業的にできる仕事なんて本当に機械がやってしまう時代だ)
向こうからやってくるものに流されていくのではなく、「仕方ない」を口癖に環境に合わせ続けるのでもなく、自分がやっていることを、自分で舵を取って動かしていく。舵を取るにはパワーがいるけど、自分で船を動かすということは、きっとすごく達成感のある、面白いことのはずだ。
「仕事が面白い」「楽しい」と言っている大人は、単に「好きなことをやっているから」だけではなくて、もしかしたらこういうことをしている人なんじゃないかと思えてきた。
ただバランスは大切だけれど。全てに大してこんなストイックな姿勢を持っていては、いわゆる悪い完璧主義に陥って、何も進まなくなってしまう。細部に気を取られすぎて、本当に大切なことに割く時間がなくなってしまうこともある。
なによりこういう話はエネルギーがいる。自身や周囲を疲弊させない適量を保ちながら、こういう話を「わくわくするもの」「面白いもの」だと周囲の人にも思ってもらえる工夫をしながら、いざ必要なときに本質の話をすること。
その人と会わなくなってからもう何年も経つが、ようやく分かってきたかもしれない。いつかちゃんと感謝を伝えたいけど、今はまだちょっと勇気がなくて連絡を取れないなあ。