自信を育てるシリーズ
[Part 1]自信とは?自信が大事な3つの理由

カテゴリー 自信を育てるシリーズ

4月になりました。多くの人が新生活を始める季節。

新生活といえば、新しい出会いがつきもの。初めましての人と仲良くなることが得意な人には楽しい季節かもしれませんが、きっと多くの人にとって、期待と同じくらいかそれ以上に、緊張と不安を感じ続ける時期が続くことでしょう。

そんなとき、自分の背中を押してくれるもの。その一つが「自信」です。

自信を味方につけると、内心どきどきしながらも「えいっ」と勇気を出して新しさの中に飛び込んでいける。一方で、自信が持てずにいるとどうしても、「自分なんて…」と下を向いて殻に閉じこもり、肝心のチャンスを逃すことにもなりかねません。

そんな季節に、一緒に「自信を育てていく」シリーズを書いていきたいと思います。


とはいえ、かくいう私も、というより私こそ、とにかく自分に自信がありません。万が一意外に思われる方がいたときのために言っておきますが、

  • こうやって文章を書いて発信することも、
  • 海外へ飛んで行って緊張感漂う商談に挑むことも、
  • 自分よりよっぽど経験豊富なはずの人たちを前に意見を述べることも、
  • たまにサックスを持ってステージに立つことも、

決して、わたしが「自信があるから」できているわけではないのです。

本来の私ならどきどきして仕方なくて、もう尻尾を巻いて帰りたくて、背伸びしなくてもいい場所で安全に過ごしたくて、「私なんかにはやっぱり無理だったんだ」と言ってしまいたいところを、時間をかけて工夫したり、それなりに経験を積んだりすることによって、なんとかできるようになっただけです。

「できるようになった」というよりむしろ「できる方法を見つけた」くらいの方が丁度いいかもしれません。

私がこのシリーズを書く理由は、決して私が「自信を身に付けて無敵になりました!その方法をみなさんにも教えましょう!」なんていうギラギラしたものではなくて、

むしろ私が元々どうしようもなく自信のない人間だからこそ、現在進行形で色々勉強したり工夫したり、ときに失敗したりしながら少しずつ自信を「育てよう」としている過程をシェアして、あわよくば皆さんからもアドバイスを貰いながら、自信がなくて悩んでいる人たちと一緒に成長していけたらいいなと思うからです。


そもそも、自信って?

そういえば、「自信」って何でしょう。文字通り取ると、「自分を信じる力」。

私が思う「自信」とは、「自分は大切な存在であると自ら認めて、その可能性を信じる力」です。

自信って、人によって違います。

自信のある人、ない人、あるのにないように見せる人、ないのにあるように振る舞う人、色々います。

たまに勘違いしている人がいるなと思うのですが、自信は「今この瞬間の、気の持ちようや考え方」だけで片づけられる話ではありません。

これまで生きてきたあなたが、今持っている自信。

それを形成したものは、環境、経験、成功、失敗、色々なものの組み合わせやそのタイミング。

周りの人に直接「言われた」「された」ことはもちろん、間接的あるいは無意識に「感じ取った」「吸収した」ことの影響も受けています。

そうやってこれまでの人生全体を通して、日々変化しながら作られてきたものが自信。

決して今だけの話ではないのです。


なぜ自信を持つ必要があるの?
1. 自分の可能性を左右するから。

みなさんご存知の通り、人生は選択の連続です。例えば進学、就職、転職など、自分の生活を大きく変えうる選択をする機会が度々訪れます。

そんなとき、あなたの選択を後押しするのも、諦めさせて後ろを向かせるのも、「自信」。

「現実的になること」と、「自信がないから踏み込めないこと」とは、少し違います。自信がないからといって諦めてしまっては、本当は実現できたかもしれない可能性さえも、潰してしまいかねません。

人生を左右しかねない大きな選択に限らず、日々のファッションについてだってそう。「これ可愛いな」「お洒落だな」と思っても、自信がないと「ああでも自分には似合わないよなあ」「これはもっと綺麗な人が身に付けるものだよなあ」なんて、試す前から諦めてしまう。私の場合、本当によくあります。

ファッション的観点から、「人には似合う、似合わないがあり、似合うものを身に付けた方がお洒落」という指摘もあるかもしれませんが、「可能性」や「自分自身が嬉しく思うかどうか」について言えば、自信を持って色々トライ出来た方が良い気がします。結果的にそんな人の方が魅力的に見えそう。

2. 自分の幸せを左右するから。

映画化もされたスティーブン・チョボスキー氏の小説“Perks of Being a Wallflower”(邦題:『ウォールフラワー』) の中で、主人公の高校生の男の子が、先生からこんな言葉を聞きます。

“We accept the love we think we deserve.”

僕らは自分にふさわしいと思う愛情を受け入れるものなんだ。

これを読んだとき、胸に突き刺さるような思いでした。自分を大切に思っていたら、自分を大切にしてくれる人と一緒にいることを選ぶ。でも自分を大切に思えずにいたら、「自分なんて誰からも愛されない」なんて思っていたら、自分のことをまるで大切に思っていない人や、ぞんざいに扱う人たちのことすらも、許して受け入れてしまうかもしれません。

自信は、自分の人生の登場人物を誰にするかを選ぶ重要な鍵になります。登場人物次第で、幸せなストーリーにも、悲しいストーリーにもなる。私たちがときに忘れがちなのは、「登場人物は自分で選択することができる」ということ。

自信があれば自分が幸せでいられる登場人物だって選べるのに、自信がないから自分を不幸せにする人を登場させたままにしておく、なんてことがあったら悲しいです。

3. 長期的に見て「正しい」選択をできるようになるから。

ケリー・マグゴニガル氏の著書 “The Willpower Instinct” (邦題:『スタンフォードの自分を変える教室』)に、こんなことが書かれています。

「自己批判はつねにモチベーションや自己コントロールの低下を招く。

その一方で、自分を励まし、自分に優しくすることは、やる気の向上や自制心の強化に繋がる。」

この本では全体を通して「目標に向かって努力を継続し、達成することはなぜ難しいのか?」「どうすれば、何を変えれば、途中で投げ出さずに目標を達成できるのか?」について書かれています。

私たちは、目標を達成するためには「自分に厳しくしなければ」と思いがちです。でも、むやみに自分を精神的に追い込むとストレスが発生します。

そうすると人は「とにかくこの嫌な気持ちから逃れたい」という気持ちにかられ、本来の目標を達成するために今本当にすべきこと、つまり「長期的に見て正しい選択」ではなく、ストレス解消や気晴らしといった「目先の報酬」に走ってしまいやすくなるのだそうです。

これに近いなと思ったのが、内田樹さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』という本に書かれている「本当の利己主義」というものです。

「『最近の若者は利己的だ』と言われるけれど、それは間違いだ。」と書かれています。どういうことでしょうか。

例えば、少し苛立ったからといって人を傷つけ、刑罰を受けることになる人は、自分のために人を傷つけているようで、その後待っている刑罰のことを考えれば、全く「自分のため」にはなっていません。

また、例えば職場に嫌で仕方ない人がいるのに我慢し続ける人は、自分の何かを守るために我慢しているようで、その我慢によって自分の肉体的、精神的な健康を損なうことになれば、結局自分のことを守れてはいません。

特に後者の例において、「本来の利己主義」になること、つまり「本当に自分のためになる選択をすること」は、勇気がいることかもしれません。「自分のための」選択だってできるのに、自信のなさゆえに「できない」と思い込んでいる場合も、多いのではないかと思うのです。

どちらの例にも共通して言えるのは、本当に自信を持っていたら、つまり「自分を大切な存在であると自ら認め、その可能性を信じて」いたら、目先のちょっとした利益でなく、一時的な快楽や報酬でもなく、長期的に自分のためになる選択をしようとする、ということだと思います。


だから、自信を育てていこう

自信は、「持とうと意識するだけで持てるものではない」と私は思っています。でもその代わり、「少しずつでも育てる方法はある」し、それをせずに他の誰かや環境にゆだねても、きっといつまでも変われないと思うのです。

それでは次回以降、「どうやったら自信を育てることができるのか?」について、私が良さそうだと思った言葉や考え方、方法について書いていきたいと思います。

4+

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください